一〇〇年続く、此の地で。
大正八年。創業者である兵藤直彦が現在の地で栗園の経営を始めて以来、100年以上にわたり栗専門の農園を営んでいます。「四万騎(しまき)」の名は、この地の字(あざ)名から。直彦が栗園を始めた当時、一帯には他に家もなく、畑地と雑木林があるだけの広大な原野でした。
直彦が栽培を始めた当時、栗の幼樹の多くが数年で枯れてしまう現象が起きていました。研究熱心な栽培家であった直彦は原因究明に努め、幼樹の枯損が温度変化に弱い接木部分の凍害により起きていたことを突き止めました。
その後、研究の末に開発した「高接苗(たかつぎなえ)」により、幼樹の枯損を大幅に減らすことに成功。直彦が開発した高接苗は、現在に至るまで茨城県をはじめ日本全国の栗栽培に普及しています。
大地と、人の手と。
農園のある茨城県かすみがうら市 旧・千代田地区は、多くの果樹園がひしめく果樹の里です。一帯に広がる火山灰を多く含んだ関東ローム層の土壌は、昔から栗をはじめ味のよい果物がとれていました。
そのような環境において、直彦の栽培研究を礎とし、長年にわたる堆肥や菜種による土づくりや品種改良を積み重ねながら、祖父から父へ、父から子へ、栗栽培の志と技術を受け継いできました。
一時は草も生えなかった痩せた土地には養分が行き渡り、今では栗の木の下に緑の絨毯のように草が茂り、春には畑一面が菜の花畑に変わります。栗の木と草花が共存する景観は、お客様の目を楽しませるものとなっている一方で、私たちにとっては畑に養分が満ちていることの指標です。
およそ15ヘクタールに及ぶ畑には、数多ある品種から厳選した約十数品種の栗の木を、互いの根が絡んで養分を奪い合わないよう広い間隔をとって、自然で健康な味わいが生きるよう、特に心を配っております。
風、光、水、大地の力と人の手で行き渡らせた良質な養分を吸い上げ、毎年秋に立派に実を結んでくれる栗の木たちは、私たちの誇りです。
そしてまた、つくり上げた栗を使用した渋皮煮やジャム、ジェラートなど、よりお客様に喜んでいただける商品づくりにも力を注いでおります。